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ピアノ技術者 古南文秀 (コミナミ ピアノワークス)

ピアノ技術者
古南文秀(コミナミ ピアノワークス)

岡山県立岡山大安寺高校卒業
国立音楽大学別科調律専修終了

橋本ピアノ(東京 大井町):ピアノ調律・修理 及び放送、録音、美術撮影のためのアンティークを含む諸楽器のレンタル

ミキ楽器センター(岡山市):ヤマハを中心とした新品・中古楽器の販売

を経て

コミナミピアノワークス(岡山市):
一般のご家庭から専門家のピアノの調律・メンテナンス及びコンサートやレコーディング 新品・中古ピアノ販売 ピアノの部屋の音響アドバイス
ピアノの移動・クリーニングなどよもやまな相談受付

〇倉敷市芸文館、ルネスホール(旧日銀)のスタインウェイの登録担当技術者
〇政田小学校のスタインベルクの保守・調律担当
〇十字屋迎賓館ホールのベヒシュタインの保守・調律担当
〇スタインウェイ会会員

【今までのトピック的な仕事】
日本テレビ『スター誕生!』を担当
政田小学校(岡山市)に昭和天皇ご大典記念として地域有志の方々によって寄贈されたスタインベルクピアノ(ドイツ ベルリン)の修復に携わる
毎年3月に行われる倉敷音楽祭におけるスタインウェイや時としてヤマハの調律を担当
2006年に担当したアンドレイ・ピサレフ氏が演奏したラフマニノフのピアノ協奏曲第3番がピティナのピアノエンサクロペディア(PTNA Piano Encyclopedia)に登録されていることを偶然に発見(第1楽章の再生回数は22万回を超える)
十字屋迎賓館ホール
の可動式反響板や天吊り式アクリル反響板の設計

 

今週の《素敵なひと》はコミナミピアノワークスとして活躍されている古南文秀さんをゲストとしてお招きしています。早速いろいろと伺っていこうと思っていますが、まずはご出身はどちらなんですか?
もともと生まれは岡山なんです。ただ、幼少の頃から小2まで父親の仕事の転勤で広島、神奈川、三重と巡って小3で岡山に帰って来たかたちでしょうか。
そうなんですね。ピアノとの関わりはどのように?
小さな頃にオルガンからはじめて、ピアノには行かずに電子オルガンを習っていました。それも高学年くらいまでで。クラブ活動ではトランペットを吹いてました。中学でも吹奏楽部と同時に友達とバンド活動もやって文化祭のステージに立ちました。
音楽はお好きだったんですね。
吹奏楽はそのまま続けて高校でも入部しました。体育館、ん?食堂の裏でしたでしょうか。そこでのびのびと活動していました。こんな自由な雰囲気の部は無いだろうと思うくらいに。
青春を謳歌されていたのですね。
はい、まぁ。部のクラシック音楽好きな友人の影響もあって、ある時、ふと思い立って家に眠っていたクラシック音楽全集の《世界の名曲》のピアノ名曲集のショパンのレコード盤に針を落としてみたんです。おお、これがショパンか!と。華やかな社交界を連想させるキャッチーな曲にももちろん魅力を感じましたが、ワルツ イ短調作品34-2という豪華絢爛な花々の陰で咲くスミレのような曲に惹かれました。演奏会ではあまり取り上げられない、どことなくわびしげな、もの憂い哀愁をたたえたこの曲はじわじわと多感な高校生を虜にしていきました。
17歳!って感じですね。
ほんと、その曲に恋をしてしまったという感じで。それからというもの、何とかピアノの道に進みたい一心で親に隠れて音大の受験本などを読み漁っていました。普通科高校でしたから進学のことを考える時期になって親に打ち明けると、当然のことながら何を考えているんだと。
わー、修羅場ですね。
そんなに面白そうに言わないでください(笑)。ひとまず高校の音楽の先生に相談に行くと、今からピアノで音大を目指すのはどうにも無理があると。こちらも薄々と既にわかっていて相談に行ったということもあります。ま、筋を通すというか。それから、小学校のころから何かとお世話になっていたおじいちゃん先生に会いに行ったんです。初めて僕の頭に“ピアノ調律師”というワードが飛び込んで来たのはその時だったでしょうか。そんなにピアノが好きなのならばそちらの方向もあるよと教えてくれて。
ほう、ここで動き出したと。それで?
きっかけとしては確かにそうなんですけど、気持ちの中では相当な抵抗感があったんです。例えると、F1のレーサーになりたかったのに、エンジニアの道はどう?という話ですから。そんな煮え切らない中にあって、一冊の本に出合います。『音楽の手帖 ピアノとピアニスト』という本で、ピアノとピアニストについて、演奏家や作曲家だけでなく、美術評論家や詩人の方たちも文を寄せている無茶苦茶読み応えのあるものでした。その中に、日本を代表する作曲家の林 光さんの一文に目が留まりました。ちょっと紹介しますね。『いつ、どこでも、といっていいくらい、ピアノ調律の音は、いつでも独特のひびきがある。なるほど、それは、音楽を奏でてこそいないが、ピアノのもっともすばらしい音のひとつであることは、まちがいない。なぜそうなのか。それは、ピアノ調律者がピアノを“鳴らし”そのひびきに耳傾けているからだ。もちろん、ピアノ調律者の目的は、音楽を奏でることにあるのではなく“鳴らし”て、それをきくことによって、調律の仕事の手がかりにしなければならないからだ。ピアノ調律者は、いつもピアノを“鳴らし”ている。』(原文どおり)この言葉にどれほど背中を押され、やる気にさせてくれたか知れません。ピアノの調律という仕事は、ただ単に“音を合わせる”という無機質なものではなくて、かっこよく言えば芸術活動の一翼を担うことが出来るかも知れない。そうか、たとえ舞台の上で曲を弾く演奏家の立場ではなくても、ピアニストの素晴らしい演奏に送られた拍手の万分の1くらいは自分の仕事に対する賛辞とひそかに自己満足してもいいのかなと夢を持ったわけです。17歳の僕が抱いた思いです。そしてそれは今でも全く色褪せることなくありますね。
それはなかなか感動的な話しですね。
でしょ(笑)。でもこれ、本心ですよ。
わかります。
それから両親には調律師の道を目指したい!と決意表明をして無理を言って念願のピアノを買っても
らいました。
よかったですね。それで、ピアノ技術者への道はどのように?
東京の国立(くにたち)音楽大学に、別科ですが調律専修という科があることを知りました。メーカーにとらわれずに音楽家と対話できる技術者の育成を目指す、という創設理念にも、ぐっと来るものがありましたので。入試には聴音やユニークな適性検査に加え、ピアノ演奏もありましたので猛練習しました。首尾よく合格しまして、憧れの2年間の音大ライフはいい仲間にも恵まれてとても有意義でパッションあふれるものでした。
卒業後はどのように?
全塗装までやる本格的な修理や、ホテル、テレビ局などに楽器を貸し出したり、そういった場でのコンサートや番組で使用するピアノの調律などを請け負っている会社にお世話になりました。
テレビ局とおっしゃいましたが・・・。
当時の歌番組はお客さんを入れての収録がほとんどでしたから、番組ごとに決まったホールとか施設
に行ってました。
それは華やかで面白そうですね。
確かにそうですね。それでも次第に独立して羽ばたきたいという思いが募ってきまして、東京をあとに
して地元岡山に戻り、高校生のときにピアノの購入でお世話になった楽器店に正社員として採用し
てもらえました。楽器店の調律師としてスタートするにあたり、10年を節目として独立するぞという気
概を持って日々の仕事と向き合って行こうと誓いを立てました。気持ちの中ではお店の看板をバック
にお客様のお宅にお伺いするのではなくて、あくまで古南という、いち技術者として精進した10年は
あっという間で、多くのお客様に可愛がっていただきました。そうしたら、神様のお導きなどと言って
いいのかわかりませんが、ちょうど10年足らずで会社がお店を閉じて解散することになったんです。
それは珍しいケースですね。ふつう会社を辞めて独立するとなると、なかなか円満退社というのは難
しいと聞きますね。
その点は本当に恵まれていたと思います。すべての流れに感謝です。
屋号は《コミナミピアノワークス》にしました。漢字にすると僕の名前の字面が四角っぽいので堅いイ
メージになるのもなぁと思って、ちょっと空でも飛んでいそうな名前にしてみたのです。困ったときに直
ぐに駆けつけるサンダーバードのイメージですね。
ははは、それは頼もしそうです。ピアノのお医者さんといった感じ。それでは、今まで関わってこられ
た中で印象に残ったお仕事などについて聞かせてもらえますか?
まず、何といっても岡山市の政田小学校で“発掘”されたスタインベルクピアノ(ベルリン)の修復に携
わったことでしょうか。
あ、それ知ってます!新聞やテレビでずいぶん長い期間特集されてましたよね。
民俗資料館におられた安倉さんという方が、雑多な資料で埋め尽くされていた部屋を整理するうち、本当に資料の山の中から姿を現したそうです。BERLINという文字はあるものの見たこともないメーカーだしボロボロになっていて、とてもまともに弾ける状態ではなかったのですが、もともと安倉さんのお家には彼が中学生の頃から伺っていたご縁で、まずは見に来てもらえませんかと連絡を受けたんです。僕はそのピアノに只ならぬものを感じました。かろうじて出る音からも明らかに国産ではない雰囲気を醸し出していました。安倉さんにはのちのちまで、あの時の古南さんの見立て如何では即廃棄処分になっていましたよと言われます。
まさに古南さんがそのピアノの命を救われたと。
いやいや、きっかけにすぎないんですけどね。実際には信頼のおける大阪の修理工房に運び込み、修復プロジェクトチームに参加させてもらったかたちです。
なるほど。それからコンサートの調律もいろいろ担当されているんですよね。
皆さんがコンサート会場でよく見かけるスタインウェイや、数は多くはないですがベヒシュタインといった名器を適切に扱って、性能を最大限に引き出すための勉強もしました。倉敷市芸文館やルネスホール(旧日銀)ではスタインウェイの登録技術者ということで毎年春に開催される倉敷音楽祭をはじめ、数々のコンサートを担当させていただいています。倉敷出身のピアニスト松本和将さんは彼がピアノを始めた頃から伺っていました。当初から、彼がピアニストにならなくて誰がなるんだというくらいの次元の違う表現力で、調律した後に弾いてもらうのがとても楽しみでした。学生時代から演奏活動をされていたので、よくコンサートの調律を頼まれましたが、彼の演奏に対応するのに技術者として無茶苦茶鍛えられました。
と言いますと?
わかりやすく言うと、強靭なタッチでも狂いにくく伸びのある音をつくることでしょうか。あと、ピアニッシモの操作性とか。決して理不尽な要望を言われるわけではなく、当然そうだよな~と理解できながらも当日の楽器のコンディションによっては苦労することはあります。でも、そのトライの積み重ねが一般のご家庭や先生方のピアノをより良くするための技術にフィードバックされていることは確実に言えるでしょうね。
なるほど~、いいお話ですね。高校生のときに背中を押され、今も大事に心に留めているという『いつ、どこでも、といっていいくらい、ピアノ調律の音は、いつでも独特のひびきがある。なるほど、それは音楽を奏でてこそいないが、ピアノのもっともすばらしい音のひとつであることは、まちがいない。』という一文、実はしっかりメモしていました。妙に印象に残る言葉でしたので。私も本番だけでなくて調律の音を聴いてみたいと思いました。ところで“響き”といえばホールの反響板などを手掛けられたと伺っていますが。
はい、岡山県の真庭市に十字屋迎賓館ホールという、極上のベヒシュタインを備えた素らしいホールがあります。もともと音の響きは申しぶんなかったのですが、より積極的にステージの音を客席に届ける意味で、自由にレイアウトもできる床置き反響板と天井から吊るす“浮雲”と名付けたアクリル製の反響板の設置を、ホールを管理する十字屋グループの社長(現会長)さんに進言させていただいたんです。あなたが良いと思われるのならば是非お願いしますと快く受け入れていただきました。図面こそ専門の方にお願いしましたが、ひとりでも動かせるようにと考えて設計をしました。音の効果はもちろんですが、ナチュラルな基本色のものと、ワインのような赤とシックな青のものを遊び心で差し色として加えてみたのは思わぬ効果でした。いちだんとオシャレに映える舞台が出来上がったのではと自負しています(笑)。
(写真を見ながら)ほんと!色使いが素敵で後ろの白い壁の照明もいい感じ。スタイリッシュでワクワクしますね。では最後にこれからの展望など聞かせてください。
ありがとうございます。今おっしゃっていただいたワクワクという言葉どおり、音楽は個人のお家であってもコンサートの会場であっても、日常とちょっと違う“ハレ”の気分を味わえるかけがえのないものだと思っています。楽器は言ってみればハレの場に誘ってくれる魔法の絨毯のようなものかも知れません。だとすれば、僕はより良い魔法の絨毯の調教師でいたいかなと思います(笑)。
ハハハ(笑)なるほど面白い例えですね。本日はどうもありがとうございました。